十人十色と言うほど人はみな異なる容姿や体型をはじめ性格や考え方、価値観に行動思考を持っており、それをひとくくりに論じたり、また一定の枠をもって分類したりはする事はまず不可能でしょう。確かに心理学や哲学などでは長い年月をかけ、多くの統計や調査・分析を踏まえある一定のカテゴリーに人間を体系化しようとしてきました。それらは確かに一定の効果は認められるものの、全ての人々に例外なくカテゴリーに区分けることは出来ません。それは皆さんもお気づきのことと存じます。
しかしながら全ての人に共通する事も、やはりあります(もちろん若干の例外はあるやも知れませんが・・・)。それは、人である以上みな心を持ち、その心が感じることを一つの判断基準・評価基準として、日々行動していると言うことです。人と話をするのはもちろん、食事をするにしてもテレビを見るにしても、服や靴・アクセサリーを買い身に付けるにしても全て自身の心がなんらかの刺激を感じアクションを起こし、それを一定の判断基準・評価基準として、自身の行動に照らし返している事は明白です。
よって人の一挙手一投足は全て心を一定の拠り所としています。
また言い換えれば、この自身の心は、自身のありとあらゆる考えや言動・行動を全て見通しているのです。
すなわち自身の心は何をも誤魔化す事の出来ない真実の鏡です。
誰も見ていない、言わなければ誰にも分からない、一生隠し通せる、そのような考えは自身の心の前では滑稽な考えとしてしかなりえません。
だから何かを考えるにしても、発言するにしても、また行動するにしても、それらは全て自身の心が常に見ており、またそれは鏡となって自身に必ずや跳ね返って来ると言う事を忘れてはなりません。
過去の・今の・未来の自分に恥ずかしくない、また後悔しない、そしてやってくるべき幸せを逃し来るべきでない不幸を招かないよう心を、「良心」を常に持ち続けなくてはなりません。
いつも常に自分の心は自分の全てを見つめています。そしてその心が自身の開運の最大の鍵を握っている。開運は良心を好み、良心は開運を待ちわびているのです。
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